読書道楽

「知的生活」P・G・ハマトン(講談社

奈良の古本屋でわずか200円で購入したもの。この本は英語の勉強にも使われるほどの原文は流麗なものだということであるが、翻訳もそれに劣らず流麗で、極めて読みやすかった。でその内容は、というと確かに洗練された、知的な感じが横溢するものであり、またなるほどと思う叙述も沢山あった。例えば時間を大切にというのは言うまでもないことであり、それよりも大事なのは何をこの短い人生の間になし、何をなさざるべきかの判断だということなどはもっともと思う。私も、この叙述のとおりと思うのであり、本当に気の多いことばかりを言ってはいられない。本当にしようと思うことをもう一回吟味し、新たな人生計画を立てるべきだと思った次第である。「星の如く、急がず、しかし休まず、人それぞれに神より受けし努めを果たせ」との言葉、それに「休め、そして感謝せよ」との引用句は心に残った。また、今は正面切っての主張にならない、妬みや嫉みを恥ずかしいものとする高貴な感覚、勇気等のいわゆる騎士道精神を感じた。しかしながらえ、いわゆる貴族趣味的な高貴さとか、知的な洗練を感じる反面、より魂を沸き立たせるごとき迫力はなく、人間の深淵に突き入る深さは感じなかった。従って、人類の古典との評価を今後とも受けることはないであろうし、これからも永遠に読み継がれるというものでもないと思う。中に、「どんなところも思いのままに植民地化し占領してきた偉大な白色人種の一員として生活し、日々お互いに助け合い、その思想と大望とを分かち合うためには・・・・新聞を毎日読む必要があるのです。」との叙述が有り、黄色人種で日本人の私はムカーっとするのであるが、その腹立ち紛れでいうのではない。人間の怖さ、血を騒がせる高貴さ、慟哭させる激しさ等とは無縁のいわゆる知識人のスマートさに終始しているのであり、その見事な英文が英語の教科書としてはこれからも使われるであろうが、古典とはなり得ないということである。

読書道楽

素晴らしい新世界」ハックスリー(講談社文庫)

未来小説。著者は、流れ作業の大量生産体制が始まったことと、社会に蔓延する科学主義と平等思想に恐れを感じたのであろうか。この本で描かれている社会はフォード歴を採用している。個性は全て否定される世界である。徹底して卵子精子の結合が人間であるとする世界である。大きな施設で精子卵子とその結合がコントロールされ、成長の過程で将来の稼働場所見合った免疫を付けさせられ、没個性の人間が作り出されていく。それを管理するのはエリートとしての成長過程を経てきた者である。従って母親や父親などという概念はこの世界にはなく、それはまだ人類が野蛮人時代にあった遅れた概念だということになっている。成長過程の若干不手際から平均的でなく、そのぶん個性を感じさせるものが出てきて、結局危険視されて島流しになる。それと野蛮人保存地区からやってきた野蛮人が出てくる。この野蛮人の瑞々しさの実在感は抜群である。野蛮人保存地区での肌の色が白い故にその共同体の尤も大事な儀式に入れてもらえないことから来る孤独感の独白、新しい文明国の世に来て母の死に会った際に死の荘厳さを理解しない文明人に死を汚されたと感じたときの状況、最後に文明の汚れから身を守ろうと悲壮な決意を実行に移している時の状況等何となく切なく、美しく、素晴らしいのだろう。しかし、著者はまさに悲劇的に話を終わらせる。右悲壮な決意と実行もこの文明の世界では面白い見世物である。マスコミが隠し撮りをして放映に成功し、観光客が一杯来る。数に勝る観光客は、酒やたばこの害がなく、気分だけは全てを忘れて幸福感にひたす文明世界にある薬品を、その服用を拒否するこの野蛮人に結局は力ずくで飲ませることに成功する。翌朝気が付いた野蛮人は自殺してこの文明から自己を守ろうとする。著者はどうしようもない即物的な悪魔的な精神の増長とそれによる社会の管理の実現が十分可能性あるものとして想像したのである。その力は圧倒的である。自己を守ろうとするなら、自殺しかない位にと言っているように思う。しかし、これは誇張ではない。ここに表現されている世界になって可笑しくないような発想や行動は様々な形で表面化してきている。臓器の結合が人間、悪い臓器は良い臓器と変えれば良い、親子などのつながりを重視するのは古い考え、もちろんご先祖など全く関係ない、結婚は個人の結合、だから結婚してどちらかの姓を名乗らなければならないなど可笑しい、好きなら結婚こだわるのも可笑しい。

読書道楽

「蔵の中から」江戸川乱歩講談社文庫)

乱歩の評論、随筆集であり興味津々の面白さである。前田河広一郎という評論家に反駁している文が最初に来ている。この評論家は、プロレタリア文学の評論家らしく、「支配者階級が被支配者階級を圧伏する法の権威が、全ての探偵ものの底に、無条件なるアプリオリ的存在として認められている・・・」などという阿呆な評論を書いたらしい。何か尤もらしいおどろおどろしい、それこそ権威主義的な、一見学問的な言葉を羅列しての無内容の文である。こんなものはほっとけば良いのであり、「このような論は一理あるとも言えるが・・・」などと言って阿ってはいけないのである。実際乱歩は、「変な見方もある」、「プロレタリア文学というのは推理小説さえもブルジョア擁護の文学として目の敵にしなければならないのであろうか。」などと言って軽く流しているのである。この評論が出たのが「新潮」という有名雑誌で、それは大正14年のことである。その頃にはいわゆるプロレタリア文学の傾向というのが知識人とかインテリ気取りの人々に蔓延していた頃なのであろう。それに乱歩のようにごく常識的に反応するのは非常に難しいことなのだと思う。学生運動華やかなりし頃には、時のインテリはまずは学生に理解を示しているとの表明をしてからものを言ったもである。大正14年当時のプロレタリア文学華やかなりし雰囲気の中、このような阿呆な評論もまかり通ったのであろう。思えば、終戦後の日本語破壊勢力の華やかなりし頃、「狼狽という字に突き当たって、狼がどうしたのだろうと迷った。そこで、私は、日本語も表音手技でいかなければならないと思った・・・」といって、それを売り物にして表音主義を説いて回った人がいることを福田恒有の本で知った。こんな馬鹿な論も、当時の表音主義者華やかなりし頃にはもてはやされたのであろう。このような時代の流行に煩わせられないで正論を言えるというのは大したものなのである。「文学上のラジューム」との文では、単文ながらポーの特異性をを良く理解し、わかりやすく記述している。エラリー・クイーンの「Yの悲劇」序では、言葉を極めてこの傑作を賛嘆している。賛嘆しているその内容が、まるで私自身がやはりこれを読んで感動した、あの純情だった中学1年生の時の心をそのまま書いているように思われた。まるで、私が読後直ちに興奮のままに来た文章のような気になった。乱歩の気持ちをぴったりである。この文でその事に多いに感動した。乱歩も最後まで犯人は分からなかったようである。犯人の意外性は、まさに宇宙的衝撃である。

 

読書道楽

「余暇と祝祭」ヨゼフ・ビーバー(講談社学術文庫

この著者は、余暇論の権威ということであるが、要するにキリスト教の信仰を持った哲学者である。従って、単に今の世の中は豊で余裕も出来たから、その余裕をどのように過ごしたら良いか、そのための理屈を紹介しましょうというような話で無いことは当然のことだったのである。この著者における「余暇」の概念は、人間が全てを虚しくして神において真の自分を見いだそうというような意味合いが含まれている言葉なのであり、私たちが普段使うこの言葉から連想する事柄とは一致しない。「余暇」という言葉で、我々は仕事の無い暇な時間との意味合いがまず浮かぶ。しかし、この本では、「余暇の本質の中核は祝祭にある」というのである。即ち、神において全てを肯定して自分をなげうち、虚しくなって祈ることが余暇の本質であるということになる。特に感激したのは、中世では、働きずくめでいることは、真の自分を得ようとしていない怠惰な態度とみられていたということである。自分が真の自分でないから、いつも不安であり、不安であるから、それを紛らすために更に一生懸命働かなければならないという情けない状態を怠惰といっていたということである。今の仕事マンには耳の痛い話であるはずであるが、現代の労働の枠組みの中に入り込んである人々はこんな指摘には耳を貸さないであろう。「そんな非生産的なことをいってどうなるか」というようなものである。しかしながら、猛烈社員が仕事がなくなって途端に惨めになるのは、表面的には仕事をして忙しく、それなりに評価されていたときにもやはり惨めであったということなのである。何かの役に立っていたという観点から、その機能価値が有用であった限りにおいて価値があったというだけなのである。しかしながら、人間がこの肉身を持って地上で生きているということは、神なり久遠本佛なりの至上者がそれを肯ったからであり、それを祈りを捧げることによって観想し、実感することによってしか真の生きがいは出てこない。その観想する時間は、社会的に有用な機能価値を行う労働とは根本的に違った時間であり、その時間を持つことをしないのは怠惰だということになる。その時間を持って初めて労働も真の価値を見いだすことが出来るということでもあるのだろう。

子供に関する随想

 いま小生は,小学校6年になる孫と5才になる孫の可愛さに夢中なのであるが,その父親である我が息子が中学から高校に上がるころに息子に関して書いた文が出てきた。読むと何か子を思う親の切なさがまた蘇ってきた感じである。以下のその時の文を記す。

                子供考

 冷静に考えればどうでも良いことでもとても気になり、あるときはイライラし、腹立たしくなることもあるが、基本的には可愛くて可愛くて堪らず、この命が助かるためなら自分の命も惜しくないと思うものなーんだ。それは子供である。そうです。子供です。私にも昭和51年1月9日に、正当な婚姻関係から生まれた玉のような男の子がいる。自分で言うのも何だが、幼いときは本当に可愛い子で、かなり過保護気味に育ててきたのであるが、今や、高校2年生となって、私よりも大きくなり、エックスというヘビメタバンドの大ファンになったりして、色々と私を戸惑わせるようになっている。現在では、町を歩いていて、よちよちと親の手を取って歩いている子供を見ると思わずほほえましくなって我が子も手を引いて連れ歩いていたときがあったのだなーとの懐かしい感慨のとらわれる一方、あの時はもう2度と戻ってこないのだとの、寂しさというか、ある種の名状しがたい無常感にとらわれるのである。そういうわけで、幼き頃と隔たった我が子ではあるのであるが、やはり今でも、幼き頃のイメージをダブらせてしまう親心の切なさよ。思えば、身近な神話のサンタクロースのロマンを子供にも信じさせようとした。そして松山赴任時代には、私が左手でサンタクロースからの手紙なるものを書いてプレゼントとともに枕元に置いていた。子供が小学2年生に上がるときに名古屋に転勤となったのであるが、名古屋の同級生はさすがにしっかりしている。しかしやはり子供である。我が子と同級生とのサンタクロースを巡る会話を再現して見ると次のようになる。

 我が 子 

   「サンタクロースって本当にいるんよ」

 名古屋の子

  「サンタクロースなんていにぁーが。あれはな、親がプレゼントを買っているんだ

   がなー」    

  我が子

  「本当にいるんよ。だって松山にいるときにちゃんとサンタさんからお手紙が来た

   もん」

 名古屋の子

  「そうかー。そりゃなー、松山にはいるかもしれんけど、名古屋にはいないだ。」というわけで、名古屋にはいないけれども、松山にはいるかもしれないことになったサンタは 名古屋でも出現し、さらに私の転勤に伴って京都にも出現し、我が子の枕元に手紙とともにプレゼントを届け続けたのである。京都ではワープロを購入したので、サンタクロースの手紙も夜にこっそりとワープロで打ったものになり、子供には「サンタのおじさんも、ワープロでお手紙を書くようになったんだね」とわざとらしいことを言っていた。そもそもワープロを買ったのは小学3年から子供が結構面白い話を色々と書くので親馬鹿からそれをワープロで打って本に仕立ててあげようとしてであった。例えば小学3年の時のものであるが、こんなナンセンスな文章を書いていた。

     題 なまぬるい

「ある日、たかしがみんなと、あそびに行こうかと思って行ったら、外がなまぬるいかんじがした。たかしが、ふろに入ろうとしたら、おゆがなまぬるかった。ふとんに入ったら、ふとんの中がなまぬるかった。おきてみたら、おしりのへんがなまぬるかった。見てみるとねしょんべんだった。どれもこれもなまぬるい。ーおしまい」

 さてそれでであるが。そのワープロに打ったサンタの手紙なるものを消し忘れたままでいたところ、我が子がワープロを触るところとなり、初期画面にもろにサンタの手紙がでてきたわけである。我が子は、「あっ。サンタさんの手紙だ。やっぱりお父さんがサンタさんなんだ」と言って追及してきた。「いや。ワープロの練習にサンタさんの手紙を真似して打っていたんだよ」などと四苦八苦して誤魔化し、急場をしのいだのであるが、まーこのことで女房の怒るまいことか。「仕事でもこんなへましてるんでしょ」などとまでいうのである。「そのようだ」というのも悔しので「仕事はちゃんとやっている」などと力なく反論したりしてまー大変でした。しかし、そのうちにさすがに常識的な意味においてサンタクロースがプレゼントを運んでくることが現実のことなのかわわかってくるわけで、もう限界かなと思われた小学6年からは、「サンタのこと信じなくなったからサンタが寂しがるのでこれからはお父さんがサンタに代わってプレゼントを運ぶことにするから」と言っているのである。その後中学1年くらいまではまだ体つきもふっくらとした子供のころの可愛さを保っていたのであるが、中学2年から高校生にかけての身体的な成長の速度はかなりのものであり、あっという間に中2年の時には女房を、中学3年の時には私の背を追い越して、ごつごつと筋肉質の大人のからだつきになっていったのである。しかし、それに対しての親の対応等はまだ可愛かった時の幼い時のイメージでなにかと接することになるわけで、そこのところでどうも齟齬をきたして反抗期ということになるのであろう。もはや中学2年から高校にかけての子供はそれまでの可愛かった子供とは違うのである。自分がどれだけそのころに生意気になっていったかを思い出せばいいのであるが、逆の立場となるとそうはいかない人間の浅墓さである。中学2年からはドライヤーを使い始めた。そもそも私は今でもドライヤーなどは使っていないのである。毎朝ドライヤーを当てながら髪をいじくる息子の姿を見るとムカーっとしてしまうのである。大体卑しくも男と生まれたものが、ドライヤーで髪をいじくるなどという女々しいことをしてはいかん、私が中学高校の時は髪などはボサボサのまま、下駄ばきで学校に行ったものだ、などといったのであるが、こともなげに「それはお父さんの時はそれがおしゃれだったんじゃないの。今は違うんだよ」などと一蹴され、なるほどとこちらも思ったりして、今はなんとかそんなもんだと思えるようになっている。この種のことが他にも色々あるのであるが、ここらが親の修行を要するところである。これも自分の当時のことを思い出してみればいいのである。大体その頃の自分の思い出があるので、結婚当初は、子供は女の子がいい、どうも男の子は年頃になると不潔になっていやだなどと言っていたこともあるのである。しかし、そんなことはないのである。こどもは男女ともに無条件に可愛いのである。中学3年のある時、なかなか昼寝から覚めない我が子を起こしたことがあった。そのとき我が子は、「あー今ちょうど夢みていたとこだった」というので、どんな夢だったと聞いたところ、「塾の帰りにパチンコ玉を拾って近くのパチンコ屋でパチンコをしたら、じゃんじゃん出たので、箱に一杯にして換金所に行ったらそこに座っているのがお父さんだった。『何やっている』と聞かれたので事情を言ったら、『馬鹿もん。もっと出してからもってこい』と言われたのでまたパチンコ屋に戻ってじゃんじゃん出しているときにお父さんに起こされた」というのである。それで笑ってしまったのであるが、待てよ、換金所の存在などをどうして知っているのだ、少なくとも私は教えていないぞ、どうして知ったのだなどと一応の心配はしてみるのである。要するに親の知らない間に子供は色々と世間のことを知っていっているのである。その子も高校生となり、いよいよ背丈も大きくなり今では若干見上げるようにしないと視線が合わなくなってきているのである。しかし、やはりどうしても幼かったころの可愛さをどこか忘れられず、その時のイメージを持ったまま接する態度がどうも抜けないのである。ここは、いよいよ一人前の大人として理性的に接するようにしなければならないと思いつつ,やはり、可愛いなー、というのが結局子供というものなのか。これから大学受験が待っている。卒業したならどんな仕事に就くのか知らないが、勤めれば、周りは優しい人だけではない。中には特段に厳しい人と働かなくてはいけないこともあろう。これから子供が経験するだろうそれら様々のことを思うと、なんとも大変だなーという思いに捉われるのである。そしてそんな苦労を何とか親として代わってやりたいとも思うであるが、そんなことはできない相談である。この可愛かった子供がこれからいろんな苦労をしなくてはならないことの哀れさと、それを親として代わってあげたいとも思うけれども、それをしてやれないもどかしさを含めたものとして、私の故郷の仙台では「この子を見てると『むずこい』」との言い方をしているのである。まさに我が子を見ているとむずこくてたまらないのである。よく仙台の母も私を見ては「むずこい」と言っていたがその気持ちがよく分かる今日この頃である。もっともむずこがられたこの私のついてみるに、和して同ぜず。外柔内剛、面従腹背等のあらゆる手を使っては、結局マイペースで毎日を図々しく生きている訳で、親が思うほどのことはないのかもしれない。しかし、親子の間はもともと運命的な関係であり、いつまでたっても思案の外の感情で結ばれているものなのだなと思うのである。 

 

子供に関する随想

 いま小生は,小学校6年になる孫と5才になる孫の可愛さに夢中なのであるが,その父親である我が息子が中学から高校に上がるころに息子に関して書いた文が出てきた。読むと何か子を思う親の切なさがまた蘇ってきた感じである。以下のその時の文を記す。

                子供考

 冷静に考えればどうでも良いことでもとても気になり、あるときはイライラし、腹立たしくなることもあるが、基本的には可愛くて可愛くて堪らず、この命が助かるためなら自分の命も惜しくないと思うものなーんだ。それは子供である。そうです。子供です。私にも昭和51年1月9日に、正当な婚姻関係から生まれた玉のような男の子がいる。自分で言うのも何だが、幼いときは本当に可愛い子で、かなり過保護気味に育ててきたのであるが、今や、高校2年生となって、私よりも大きくなり、エックスというヘビメタバンドの大ファンになったりして、色々と私を戸惑わせるようになっている。現在では、町を歩いていて、よちよちと親の手を取って歩いている子供を見ると思わずほほえましくなって我が子も手を引いて連れ歩いていたときがあったのだなーとの懐かしい感慨のとらわれる一方、あの時はもう2度と戻ってこないのだとの、寂しさというか、ある種の名状しがたい無常感にとらわれるのである。そういうわけで、幼き頃と隔たった我が子ではあるのであるが、やはり今でも、幼き頃のイメージをダブらせてしまう親心の切なさよ。思えば、身近な神話のサンタクロースのロマンを子供にも信じさせようとした。そして松山赴任時代には、私が左手でサンタクロースからの手紙なるものを書いてプレゼントとともに枕元に置いていた。子供が小学2年生に上がるときに名古屋に転勤となったのであるが、名古屋の同級生はさすがにしっかりしている。しかしやはり子供である。我が子と同級生とのサンタクロースを巡る会話を再現して見ると次のようになる。

 我が 子 

   「サンタクロースって本当にいるんよ」

 名古屋の子

  「サンタクロースなんていにぁーが。あれはな、親がプレゼントを買っているんだ

   がなー」    

  我が子

  「本当にいるんよ。だって松山にいるときにちゃんとサンタさんからお手紙が来た

   もん」

 名古屋の子

  「そうかー。そりゃなー、松山にはいるかもしれんけど、名古屋にはいないだ。」というわけで、名古屋にはいないけれども、松山にはいるかもしれないことになったサンタは 名古屋でも出現し、さらに私の転勤に伴って京都にも出現し、我が子の枕元に手紙とともにプレゼントを届け続けたのである。京都ではワープロを購入したので、サンタクロースの手紙も夜にこっそりとワープロで打ったものになり、子供には「サンタのおじさんも、ワープロでお手紙を書くようになったんだね」とわざとらしいことを言っていた。そもそもワープロを買ったのは小学3年から子供が結構面白い話を色々と書くので親馬鹿からそれをワープロで打って本に仕立ててあげようとしてであった。例えば小学3年の時のものであるが、こんなナンセンスな文章を書いていた。

     題 なまぬるい

「ある日、たかしがみんなと、あそびに行こうかと思って行ったら、外がなまぬるいかんじがした。たかしが、ふろに入ろうとしたら、おゆがなまぬるかった。ふとんに入ったら、ふとんの中がなまぬるかった。おきてみたら、おしりのへんがなまぬるかった。見てみるとねしょんべんだった。どれもこれもなまぬるい。ーおしまい」

 さてそれでであるが。そのワープロに打ったサンタの手紙なるものを消し忘れたままでいたところ、我が子がワープロを触るところとなり、初期画面にもろにサンタの手紙がでてきたわけである。我が子は、「あっ。サンタさんの手紙だ。やっぱりお父さんがサンタさんなんだ」と言って追及してきた。「いや。ワープロの練習にサンタさんの手紙を真似して打っていたんだよ」などと四苦八苦して誤魔化し、急場をしのいだのであるが、まーこのことで女房の怒るまいことか。「仕事でもこんなへましてるんでしょ」などとまでいうのである。「そのようだ」というのも悔しので「仕事はちゃんとやっている」などと力なく反論したりしてまー大変でした。しかし、そのうちにさすがに常識的な意味においてサンタクロースがプレゼントを運んでくることが現実のことなのかわわかってくるわけで、もう限界かなと思われた小学6年からは、「サンタのこと信じなくなったからサンタが寂しがるのでこれからはお父さんがサンタに代わってプレゼントを運ぶことにするから」と言っているのである。その後中学1年くらいまではまだ体つきもふっくらとした子供のころの可愛さを保っていたのであるが、中学2年から高校生にかけての身体的な成長の速度はかなりのものであり、あっという間に中2年の時には女房を、中学3年の時には私の背を追い越して、ごつごつと筋肉質の大人のからだつきになっていったのである。しかし、それに対しての親の対応等はまだ可愛かった時の幼い時のイメージでなにかと接することになるわけで、そこのところでどうも齟齬をきたして反抗期ということになるのであろう。もはや中学2年から高校にかけての子供はそれまでの可愛かった子供とは違うのである。自分がどれだけそのころに生意気になっていったかを思い出せばいいのであるが、逆の立場となるとそうはいかない人間の浅墓さである。中学2年からはドライヤーを使い始めた。そもそも私は今でもドライヤーなどは使っていないのである。毎朝ドライヤーを当てながら髪をいじくる息子の姿を見るとムカーっとしてしまうのである。大体卑しくも男と生まれたものが、ドライヤーで髪をいじくるなどという女々しいことをしてはいかん、私が中学高校の時は髪などはボサボサのまま、下駄ばきで学校に行ったものだ、などといったのであるが、こともなげに「それはお父さんの時はそれがおしゃれだったんじゃないの。今は違うんだよ」などと一蹴され、なるほどとこちらも思ったりして、今はなんとかそんなもんだと思えるようになっている。この種のことが他にも色々あるのであるが、ここらが親の修行を要するところである。これも自分の当時のことを思い出してみればいいのである。大体その頃の自分の思い出があるので、結婚当初は、子供は女の子がいい、どうも男の子は年頃になると不潔になっていやだなどと言っていたこともあるのである。しかし、そんなことはないのである。こどもは男女ともに無条件に可愛いのである。中学3年のある時、なかなか昼寝から覚めない我が子を起こしたことがあった。そのとき我が子は、「あー今ちょうど夢みていたとこだった」というので、どんな夢だったと聞いたところ、「塾の帰りにパチンコ玉を拾って近くのパチンコ屋でパチンコをしたら、じゃんじゃん出たので、箱に一杯にして換金所に行ったらそこに座っているのがお父さんだった。『何やっている』と聞かれたので事情を言ったら、『馬鹿もん。もっと出してからもってこい』と言われたのでまたパチンコ屋に戻ってじゃんじゃん出しているときにお父さんに起こされた」というのである。それで笑ってしまったのであるが、待てよ、換金所の存在などをどうして知っているのだ、少なくとも私は教えていないぞ、どうして知ったのだなどと一応の心配はしてみるのである。要するに親の知らない間に子供は色々と世間のことを知っていっているのである。その子も高校生となり、いよいよ背丈も大きくなり今では若干見上げるようにしないと視線が合わなくなってきているのである。しかし、やはりどうしても幼かったころの可愛さをどこか忘れられず、その時のイメージを持ったまま接する態度がどうも抜けないのである。ここは、いよいよ一人前の大人として理性的に接するようにしなければならないと思いつつ,やはり、可愛いなー、というのが結局子供というものなのか。これから大学受験が待っている。卒業したならどんな仕事に就くのか知らないが、勤めれば、周りは優しい人だけではない。中には特段に厳しい人と働かなくてはいけないこともあろう。これから子供が経験するだろうそれら様々のことを思うと、なんとも大変だなーという思いに捉われるのである。そしてそんな苦労を何とか親として代わってやりたいとも思うであるが、そんなことはできない相談である。この可愛かった子供がこれからいろんな苦労をしなくてはならないことの哀れさと、それを親として代わってあげたいとも思うけれども、それをしてやれないもどかしさを含めたものとして、私の故郷の仙台では「この子を見てると『むずこい』」との言い方をしているのである。まさに我が子を見ているとむずこくてたまらないのである。よく仙台の母も私を見ては「むずこい」と言っていたがその気持ちがよく分かる今日この頃である。もっともむずこがられたこの私のついてみるに、和して同ぜず。外柔内剛、面従腹背等のあらゆる手を使っては、結局マイペースで毎日を図々しく生きている訳で、親が思うほどのことはないのかもしれない。しかし、親子の間はもともと運命的な関係であり、いつまでたっても思案の外の感情で結ばれているものなのだなと思うのである。 

 

読書道楽

おじさまの読書感想文シリーズ。第一弾は「悪魔の事典」(A・ビアス著:角川文庫)。ちびちび読み終えた。正直言って読み通すのは苦痛であった。それで、ちびちび読み継ぎやっと読み終わったわけである。明らかに何かを、あるいは誰かを意図して風刺していると思われる叙述がふんだんにあるのであるが、それが今では分からないのが多く、それが読みづらい点である。しかし、例えば【「下劣」=自分に関して他人が吐く批判点な言葉】、とか【「苦痛」=不愉快な精神状態。身体に対して何かが行われているという肉体的な根拠の場合もあれば、他人の幸福が原因の純粋に精神的な場合もある】、などというそれ自体思わずギクッとし、なるほどと思わせるものも沢山ある。対になっている場合もある。【「寸鉄人をえぐる言葉」=他人に対して自分が吐く批判的な言葉】は、先ほどの「下劣」の定義と対となるものであって、両者合わせて再びにんまりと若干反省の感情も含めての嗤いを誘われるものもあるのである。また【「一年」=365個の失望からなる一区切りの期間】のようにしんみりと、感傷的になってしまう定義もある。【「平和」=国際関係で、戦争と戦争の間の騙し合いの期間】のような深刻な定義もある。日本は平和だというが、アメリカの軍事力の庇護のもの、深刻な冷戦下でもがむしゃらに経済活動に専念できた。今、新たな冷戦下、直接日本領土を狙う隣国が台頭し、何となく戦争に巻き込まれる立場に立たないで済んできたというわけにはいかない情勢である。【「結婚」=主人一人、主婦一人、それに奴隷二人からなるが総計では二人になってしまう共同生活の状態又は状況】との定義がある。夫婦ではお互いが相手の奴隷になるとなるということで奴隷二人が出てくるわけである。なかなかしゃれた定義ということなのだが、私はどういう意味か分からずにいたところ、妻は、「しゃれた言葉だわ。あなた沢山本読んでいるのにこれピンとこないの。」などと言い、その意味するところを私に教示してくれたのである。またもや賢い妻にたじたじとなる私でした。ちなみに私もビアスのひそみにならって定義を一つ。「恐妻家」=家庭においては誇りを捨て、賢い妻にたじたじとなりながら、結構幸せだと思っている、男の風上にもおけない男性。